秋はセンチメンタル

 あんなに元気に鳴いていたセミたちはもういなくなってしまった。燃え盛る太陽の光を浴びて青々と茂った草木や花たちも、もうじき何かの役目を終えたかのように枯れていってしまうだろう。お気に入りのTシャツやサングラスや短パンももう着れなくなる。花火はもう上がらない、風鈴の音も聞こえない。夏が終わり、秋がやってくる。何故秋になると、こんなにも切なくなるのだろう。

 夏が象徴するものが生命だとしたら、冬の象徴するものはきっと死だ。木々は枯れ、動物たちは長い眠りにつく。突き抜けるように透明な空、真っ白な雪、凛とした静寂。そんな景色は、どこかしら死を連想させる。

 言うまでもなく、僕たちは皆死んでしまう。遅いか早いかの違いはあれど、死は皆のもとに平等に訪れる。夏の間、僕たちはきっと死を忘れている。夏の間、目に映る物や聞こえてくるもの全てが生命だからだ。そして秋になるにつれて、そんな生命の宴も終わりを迎え、金木犀の香りと共に皆死んでいく。そんな光景は、僕たちが普段忘れかけている運命を無情にも思い出させる。

 もしあなたが、秋になるとどうしようもなく切なくなるのだとしたら、それはあなたの魂が、自分の運命を思い出しているからだ。もしあなたが、秋になると人恋しくなるのだとしたら、それはあなたの魂が、確かな生命の温もりを求めているからだ。それはまったく不自然な事ではない、自然からのメッセージに、あなたの魂が応えているだけなのだから。生はあらかじめ死を含んでいる、そして、死はあらかじめ生を含んでいる。秋と冬が終わったら、また生命の季節がやってくる。そういったサイクルを繰り返しながら、人はだんだんと死を受け入れていくのだ。どうしても切なくてたまらなくなったら、きっと音楽や映画や小説があなたを助けてくれる。この秋は温かいミルクとチョコレートを用意して、思う存分自分の世界に浸ってみるのもいいかもしれない。