夜衝
奇妙なドライブだった。言い出しっぺはコウヘイで、最初は彼女のミホと二人で海にでも行こうという話をしていたらしいのだが、何故か車には俺とリナも一緒に乗っていた。運転席のコウヘイはノリノリで、さっきからエルレガーデンとかマキシマムザホルモンの曲を流してはそれに合わせて大声で歌っていた。
「ねぇ!ちゃんと運転してよヘタクソ!」
助手席のミホが時折コウヘイを怒鳴りつけた。
「ヘタクソってのは運転の事?歌の事?」
「どっちもよ!」
俺はそんな二人のやりとりを聞きながら窓の外を眺めていた。
時刻は夜の11時を回り、国道沿いではマクドナルドやラーメン屋やカラオケボックスやドン・キホーテやラブホテルの看板がどぎつい原色の光を撒き散らしていた。
隣に座るリナも、ずっと窓の外を眺めていた。
「ところで二人は面識はあるんだっけ?」
コウヘイが俺とリナに問いかける。
「いや、喋ったことはないかな、同じクラスになったことはあるけど。」
俺はそう答えた。リナとはほとんど喋ったこともない。俺はコウヘイと仲が良かったから呼ばれ、リナはミホと仲が良かったから呼ばれた。それだけだ。俺とリナの間には同じ学校で同じクラスだったことがある、という以上の共通点はなかった。
「じゃあ、これを機会に仲良くなっちゃえよ。」
コウヘイが言った。
「そうよ、ねぇリナ、今彼氏いないんでしょ?」
ミホの問いかけに、リナは小さくうなずいた。
「一見地味だけど、大人っぽくて綺麗な顔立ちしてるのよ、この子。おっぱいだってDカップあるもんね。」
「ねぇちょっとやめてよ!」
リナが笑いながら助手席のヘッドレストを叩いた。
俺はリナが着るニットの形良いふくらみに目をやった。
「お、なかなかスケベな目をしてるね!」
バックミラー越しに俺の様子を見ていたコウヘイが言った。
「やめろよ!」
俺は笑いながら運転席のヘッドレストを叩いた。
***
海に着いたのは12時過ぎだった。海岸沿いの駐車場に車を止め、4人で浜辺に向かった。夜の浜辺は想像以上に暗く、月明りと遠くの街灯のぼんやりした光を頼りに歩かなければならなかった。
「ミホ、気をつけろよ。」
何故かハイヒールを履いてきた危なっかしい足取りのミホの手を、コウヘイが取った。夜の浜辺がそうさせるのか、二人でいるときはいつもそうなのか、コウヘイとミホは二人だけの親密な世界をいとも簡単に作り出し、それが俺を少し気まずくさせた。リナも同じ事を感じていたのか、二人から少し距離を取って後ろを歩いていた。コウヘイ達は波打ち際で裸足になってはしゃぎだした。
俺はいつの間にかリナと二人きりになった。会話は無かった。俺とリナは絶妙な距離を保ちつつ、砂浜に体育座りしながら夜の海辺の景色を見ていた。海沿いに立ち並ぶ工場や家々の光がきらきらと海面に反射していた。月が青白い光を投げかけ、波の音は心地よい子守唄のように、俺の意識を遠く記憶の彼方へ連れ去ろうとしていた。
気の利いた男なら、こんなとき隣に座る女を退屈させないでいられるのだろう。しかし俺はリナと何を喋っていいのかわからないままだった。さっきまで気にならなかった沈黙の時間も、一度意識してしまうと気まずくてしょうがない。俺は無意味に咳払いをしたり、砂浜の砂を掴んでは落としたりしていた。リナはそんな俺の事を気にする素振りも見せず、じっと遠くを見つめたままだった。
「ねぇ、あそこ行こうよ。」
いよいよ沈黙に耐えきれなくなった俺は、少し歩いたところにある堤防を指差した。コウヘイ達は飽きもせずに波打ち際で遊んでいる。彼らが帰ろうと言い出すのは多分もっと後になるだろうし、その間ずっと砂浜に座り続けるのも芸がないというか、ロマンチックじゃないというか、今の状況においてはふさわしくない事のような気がしたのだ。
「いいね。」
そう言ってリナは立ち上がり、服に付いた砂を払った。
実際のところ、俺はその時かなり緊張していた。リナはミホの言う通り綺麗な顔立ちをしていたし、スタイルだって良い、来ている服も俺好みだし、彼氏がいないという前情報もある。それに輪をかけるこの抜群のシチュエーション。上手くやればなんとかリナといい感じになれるかもしれない。俺の頭の中で図書館のリファレンス係がこのシチュエーションを攻略できる気の利いた言葉を探していた。黒縁の大きなメガネをかけたリファレンス係はまるでアメリカの古いカートゥーンみたいに超高速で館内を走り回り、超高速で本のページを繰り、俺の要望に必死で答えようとしていた。俺は受付のデスクを指でトントンと叩く。「急いでくれ。」の合図だ。真面目なリファレンス係には申し訳ないが、俺には時間がないのだ。リファレンス係は大粒の汗を流しながら大量の本の大量のページを繰り、読み終わった本をどんどん積み上げていく。俺は受付で貧乏ゆすりを始める。その振動がリファレンス係をさらに焦らせる。俺としても彼を焦らせるつもりは無いのだが、とにかく急いでいるのだ。やがてクタクタになったリファレンス係が申し訳無さそうに俺の元にやってくる。彼の髪はくしゃくしゃで、メガネはズレて、ネクタイは曲がり、ズボンには穴が空いていた。俺は嫌な予感を感じ取る。リファレンス係は告げる。
「申し訳ありません。お客様の望む情報は私共では見つける事ができませんでした。」
***
俺は現実に戻る。リナが俺の隣にいる。気がつくともう堤防の先端に居た。堤防の先端では波の音以外何も聞こえなかった。リナと俺だけが世界から取り残されたような静けさだった。
「どうしたの?ずっと黙ってたけど。」
リナが心配そうに俺を見つめる。
「いや、なんでも無い、大丈夫だよ。」
「考え事をしてたみたいだけど。」
「うん、ちょっと図書館の事を考えてたんだ。」
「図書館?」
リナは不思議そうにポカンと口を開けた。メキシコの子供にスワヒリ語でカンフーを教えたらおそらくこんな顔をするだろう。まずい、このままではロマンチックどころの話ではない。
「そう、図書館、このシチュエーションに最適な言葉を図書館のリファレンス係に探してもらってたんだ。そのリファレンス係はいつもでっかいメガネをかけていて、勤勉なんだけど、急かされるとパニックになってよくドジをするんだ。それでいつもお客さんとか上司に怒られてる。」
何か違う話題を探さなくてはと思ったが、考える前に口が勝手に動き出していた。言い終わった後に、俺は完全に終わったと思った。
「変なの。」
しばらくの沈黙の後、リナはそう言って少し笑った。そしてコウヘイ達の元に歩き出した。俺は小さくため息をつき、リナの後を歩いていった。
【夜衝】yè chōng
〈台〉
1.車やバイクで夜走りをする。夜中に車やバイクを飛ばす。
2.夜遊びをする。
〈備考〉台湾の若者が夜中に友人同士で山や海を見に車やバイクを飛ばすことを指すことが多い。 出典:中日辞書 北辞郎