スネイク・ハント

 

 

 

 

 

 

"走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく

 「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、

  この世とかの世とをともに捨て去る。

   ――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。"  - ブッダ

     

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ***

 

 

骨董品のような扇風機と27歳の女

 

夏だった。

事務所の閉め切ったブラインドの僅かな隙間から熱い太陽の光線が染み込んでくる。

カビ臭いエアコンは2ヶ月前に故障したままだ。

俺の足元で骨董品のような扇風機が面倒臭そうに首を振っている。

扇風機は耳障りな音を立てながら、肌触りの悪い風でぬるい部屋の空気をかき回す。

俺は来客用の革張りのソファに座り、テーブルの上の2つのよく冷えたアイスコーヒーを眺めていた。

「飲まないのか?」

俺がそう言うと、向かいのソファに座った女は何も言わずにアイスコーヒーに手を伸ばした。

グラスについた水滴がテーブルに円形の水たまりを作った。

女は一口だけアイスコーヒーを飲み、グラスをそっと円形の水たまりの上に戻した。

この無口な女が今回の仕事の依頼人だった。

歳は27だと言った。

ネイビーのコットンのワンピースに、黒のバレエシューズ。

短く切られた黒い髪が、華奢な首と小さな頭によく似合っていた。

他には小さな革のバッグとカシオの腕時計しか身に着けていなかったが、無駄な装飾の無さがかえって品の良さを感じさせた。

扇風機は耳障りな音を立て続けていた。

 「蛇を退治してほしいんです」

ゆっくりと、女が口を開いた。

蛇?

「そういうのは、保健所とかに頼んだほうがいいんじゃないのか?」

「ええ、普通の蛇退治なら、保健所か、然るべき業者に依頼します。しかし、今回退治してほしいのは、ちょっと特殊な蛇なんです」

「特殊な蛇?」

「はい、特殊な蛇、いや、とても特殊な蛇、と言ってもいいかもしれません」

「そうなってくると、なおさら俺に依頼する理由がわからない。俺は探偵なんだよ」

「わかっています、探偵さん。ですが、今回はどうしてもあなたの力が必要なんです、報酬はきちんとお支払いしますから」

女はそう言って、小さな革のバッグから1枚の小切手を取り出し、俺に差し出した。

俺は小切手を受け取り、額面を確認した。

     小 切 手

 支払地 東京都XX区XX

      XX銀行 XX支店

 金額 ¥10,000,000

   上記の金額をこの小切手と引替えに持参人にお支払いください。

 

1,000万?

「馬鹿げた依頼なのは百も承知です、ですが、本当に困っているんです。どうか、探偵さんの力を貸して下さい」

女は深々と頭を下げた。

扇風機は耳障りな音を立て続けていた。

 

このようにして、奇妙な蛇退治の仕事が始まった。

 

 

      ***

 

 

漁村、老人

 

 後日、女が俺を蛇のもとへと案内してくれる事になっていたのだが、その当日の朝に女から電話がかかってきた。

「ごめんなさい、探偵さん。事情があって蛇のもとへ案内することが難しくなってしまいました。蛇のいる場所をお教えするので、そこを探してみて下さい」

俺は女の言った場所をメモに取り、電車を乗り継ぎ、その場所へ向かった。

 

電車を降りると、潮と魚の匂いが鼻についた。

そこは小さな漁村だった。

村全体がどんよりした雨雲に覆われ、薄暗かった。

小さな村で、駅から歩くとすぐに港に出た。

港には薄汚れた石碑が立っていた。

化猫伝説ノ碑

 古くより裏山に住みし猫群れて、村人の鰯を喰ひければ、村人これに怒り、猫を捕らへて殺したり。ある晩かの猫化けて村人の前に出でていふ。そのいのち惜しくば夜毎鰯を奉るべし。村人たいそうこれを恐れ、夜毎鰯を奉りたり。その後化猫いずこかへ消へたり。

化猫伝説か…

俺はため息をつき、港を見回した。

港には古い網や朽ち果てた漁船が、そこら中に捨ててあった。

辺りに人影は無く、かもめの鳴き声が漁村の裏にそびえる山に虚しく吸い込まれていった。

山の後ろは暗く、今にも雨が降り出しそうだった。

港の隅の方に、トタンで出来たボロボロの小屋があった。

小屋の方へ歩いていくと、腐った魚の臭いが目に染みた。

小屋の中から物音がした。

俺は息を潜め、扉から小屋の中を覗いた。

小屋の中には老人が座っていた。

こちらに背を向けて、何か作業をしているようだった。

俺が話しかけようとすると、老人は作業をやめ、ゆっくりとした動作で左手の人差し指を小屋に付いた簡単な窓の外に向けた。

「猫は、そこの砂浜におる」

老人はそれだけいうと、こちらに背を向けたまま作業を再開した。

この老人が一体何の作業をしているのかさっぱりわからなかった。

俺は小屋の悪臭に耐えきれなくなり、老人が指さした砂浜に向かう事にした。

俺は猫を探しているんじゃない。

そう自分に言い聞かせながら砂浜へ向かうと、分厚い雲からポツポツと雨が降り出した。

雨はすぐにその勢いを増し、5メートル先も見えない大雨になった。

砂浜は一瞬にして鈍色に染まった。

俺は砂浜を捜索するのを諦め、さっきの小屋に引き返した。

小屋に着くと、さっきの老人は居なくなっていた。

小屋の中には相変わらず魚の腐ったような悪臭が漂っていた。

雨が止む気配は無い、俺は悪臭に耐えながら小屋で雨宿りすることにした。

大粒の雨がトタンの屋根に勢いよくぶつかり、凄まじい騒音を立てた。

悪臭と騒音で、頭がどうにかなりそうだった。

俺は頭を抱え、なんとかこの状況をやり過ごそうと目を閉じ、意識を眉の間に集中させた。

どれだけその状態で居ただろうか。

気がつくと雨は止み、小屋の中の悪臭も消えていた。

ふと、小屋の外に気配を感じた。

小屋の窓を見ると、巨大な瞳がこちらを覗き込んでいた。

扉を開け、外に出ようとしたが、扉の外は三毛柄の毛皮で覆われていた。

化け猫だ。

化け猫は子猫に乳を与える母猫のような格好で、この小屋をすっぽりと覆い尽くしているようだ。

真っ黒な瞳孔が、じっと俺の方に向けられていた。

その巨大で空虚な瞳孔は、魂を吸い取る鏡のように、怪しく光っていた。

女は俺をハメたのか?

それともさっきの老人の仕業か?

蛇はどこに居る?

この化け猫は俺を食っちまうつもりなのか?

あれこれ考えていると、化け猫が小屋の外から俺に話しかけてきた。

「お前、蛇を探してるんだにゃ?やめといたほうがいいにゃ、蛇はおいら達の天敵にゃ、そしてお前の天敵でもあるにゃ。これ以上の詮索は危険にゃ、今すぐ蛇探しをやめるにゃ」

「俺は探偵だ、受けた依頼はきちんとこなさないと気が済まない。それに、あの女は本気で俺に蛇を退治して欲しがってた」

「おいらはおいらなりに本気で言ってるんだにゃ、もしお前が変な事をして蛇が暴れだしたりしたら、おいら達にもものすごい迷惑がかかるんだにゃ」

俺は化け猫の巨大な瞳を見つめたまま黙っていた、すると化け猫はぼそりと呟いた。

「死にたくないならやめとくのがいいにゃ、お前に蛇は退治できないにゃ」

「俺に蛇は退治できない?」

「そうだにゃ、おいら達でも退治できなかったのに、お前に蛇を退治できるわけがないにゃ」

そう言うと化け猫は去っていった。

 

俺は小屋を出て、駅に向かった。

この村では結局、あの老人以外の人間を見かけなかった。

お前に蛇は退治できないにゃ

化け猫の言葉は、俺の心の隅に微かな不安を植え付けていった。

 

 

 

     ***

 

 

その日、デンバー市郊外のウォルマートで何が起こったのか

 

化け猫の1件以降、女と連絡が着かなくなった。

おかけになった電話は、電波の届かないところにあるk――

俺は電話を切った。

一体全体どうなってるんだ。

俺は蒸し風呂のように暑い事務所でたらたらと汗を垂らしながら蛇に関する情報を探っていた。

骨董品のような扇風機は相変わらず耳障りな音を立て続けていた。

・日本の蛇図鑑―驚くべき蛇のすべて―

・世界最強動物決定戦vol.5 アナコンダvsカンガルー

・ポールパイソン 飼育 繁殖 これ一冊ですべてがわかるポールパイソンの飼い方

・アマゾンの悪夢 7人を食べた巨大人食い蛇の記録

・毒蛇はなぜ目立つのか ―毒の生物史―

・毒蛇咬傷の治療ガイド 世界応急治療啓発センター刊

・現代アメリカの都市伝説 〜蛇を見た男ジェイムズの話〜

・服飾産業における皮革利用の調査と実態 ワニ・ヘビ編

図書館からヘビに関する本を集めてきたが、これが俺の探している蛇と何か関係があるとは思えなかった。

蛇を見た男…

俺は何気なく目を惹いたその本のページをパラパラとめくった。

蛇を見た男ジェイムズ

 1982年9月4日の午後から深夜にかけて、奇妙な通報がコロラド州デンバー市警の管轄区域内で相次いだ。通報の内容はどれも似通ったもので「庭で飼っていたペットが消えた」「養豚場の豚が絞め殺されている」「停めてあった車が何かに締め付けられたように凹んでいる」といった内容であった。このような通報がこの日の午後だけで70件以上あったという。これはデンバーの1日の通報件数の8%に相当し、当警察署でも前例を見ない事態であった。

 1982年9月4日23時30分頃、当時デンバー市警勤務5年目のジェイムズ・ホッパー巡査は、車が破壊されているという通報を受け、デンバー郊外のウォルマートの駐車場を捜索している途中に行方不明となった。ジェイムズは8時間後、デンバー市内の下水道で水道業者によって発見されたが、酷いショック状態にあり、呼びかけてもまともな返事が出来る状態ではなかった。駐車場で何が起こったのか?何故下水道に居たのか?事態を重く見たデンバー市警の上層部はジェイムズを精神鑑定にかけ、審問を実施し、事件の解決を急いだが、どれだけ問いただしてもジェイムズは「蛇を見た(I saw a snake.)」としか答えなかったという。Tim Henry & David porter (1999) "Modern American Urban Legends" United River Publishing.

 

蛇を見た(I saw a snake.)―――か。

俺はため息をつき、事務所の閉め切られたブラインドを開いた。

既に日は傾き始め、西日が窓から差し込んできた。

事務所は4階建てのビルの3階にあり、お世辞にも見晴らしが良いとは言えなかった。

退屈なビルが退屈に建ち並ぶ退屈な街の退屈な景色が退屈に広がっているだけだった。

窓を開き、身を乗り出して下を眺めてみた。

電柱の脇で1匹の猫が俺の方をじっと見つめていた。

猫…?

猫はこちらに気がつくと、背を向けて駅前の方へと歩いていった。

何かの予感が強烈に俺を捉えた。

大きな力に突き動かされ、気がつくと俺は事務所を飛び出していた。

外に出たが、電柱の脇にはもう猫は居なかった。

猫はどこだ?

目を凝らして猫を探すと、遠くでふわふわしたしっぽが軽やかに揺れているのが見えた。

追いかけろ、猫は歓楽街へ向かったぞ

俺は猫を追いかけ、駅前の歓楽街へ走った。

夕暮れ時の街には、もうちらちらとネオンが灯り始めていた。

 

 

 

     ***

 

 

バッド・トリップ

 

夕暮れ時の街には、もうちらちらとネオンが灯り始めていた。

俺は家路を急ぐサラリーマンや、時間と性欲を持て余す学生の群れや、安居酒屋のキャッチや、やる気の無いティッシュ配りや、聖書を配る婦人や、スーツケースを引く外国人達をくぐり抜けながら、猫のしっぽを追いかけていた。

猫は同じところをぐるぐると回っているようだった。

猫を追いかけているうちに辺りはすっかり暗くなり、街の喧騒はいっそう激しくなった。

遠くの方で誰かの叫び声が聞こえる。

遠くの方でパトカーのサイレンが鳴っている。

遠くの方で違法改造のバイクがけたたましい音を上げる。

夜が始まる。

黒塗りのベンツが歓楽街をゆっくりと滑る。

よく磨き込まれたボディに反射したネオンの光が怪しく踊る。

街はある種の親密さを失い、欲望と金が支配する世界へと姿を変える。

ここはもう俺の知っている街では無いのだ。

しかし、俺は相変わらず猫のしっぽを追いかけている。

猫は同じところをぐるぐると回っているようだった。

この猫は俺をどこへ連れて行くつもりなんだ?

俺は猫を追いかける

 

誰かと肩がぶつかる。

 

「おい、にぃちゃん、どこ見てんだ?」

 

俺はどこを見ているんだ?

 

猫はどこへ行った? 

 

俺は現実との接点を見失いかけている

 

何が起こっている?

 

何かがおかしい

 

視界がどろりと溶ける

 

俺は現実実とのとの接点をを見失いかかけている

 

何が起起こっていこっる?

 

何何かがおかおかしい

 

視視界ががどどろどろりろりりと溶溶けるけける

 

猫はどこへへ行っ行った? 「おい、ににぃちゃん、どこ見て見てんんだ?」 俺俺ははどこを見て見ているいるんだ? 俺は何をしているんだ? お前にに蛇は退蛇は退治できなきないいにゃゃ 「「「探探偵さささんんさん、報報酬報酬報報酬酬酬はははきききちんきちんとときちちんととおお支お支お支お支お支払い払い払い払い払いしましますしますしますからしますからからすから」」」」」 女女女おんおん女ななおんなな女おんな女は女はネネイビネイビーーネイネイビーネイビービーイビーののののワンワンピーワンスワンピワンピースースピースをを着て着着ていたていた ジェイムズ きちんと答えてくれ デンバー市警の名誉のためにも あの晩 駐車場で何が起こった?What happend at the parking lot?  何故下水道に居た?Why were you at the sewerage?  蛇を見たI saw a snake I saw a snake 蛇を見た 蛇を見た 蛇を見た 蛇を見た 蛇を見た 蛇を見た 蛇を見た扇扇風機風扇風機機がが耳耳障耳障りり障りな音音をを立て立ててて鳴鳴り続けてり鳴り続けて続鳴鳴り続けてり続けてけてい―――

頬に衝撃を感じ、俺は我に帰った。

殴られたのだ。

「チッ、おめぇ頭おかしいんじゃねぇか?」

チンピラ風の男はそう言って去っていった。

俺は歓楽街の中心に居た、ひどい人混みが俺をどこかへ押しやろうとする、安い香水、酒、吐瀉物、血、汗、下水の臭いで鼻がおかしくなりそうだ。

「オニイサン、血デテル、ウチ寄ッテ、キモチイキモチイマッサージアルヨ」

「蛇はどこだ?」猫はどこへ行った?

「ヘビ?ヘビもアルヨ、イパイイパイアル、マッサージスル?ヤスイヤスイダヨ」

「蛇はどこだって言ってんだよ」俺はラリっているのか?

 

 

「蛇?蛇はあなたじゃない、何を言っているの?」

 

 

依頼人の女が俺の前に立っている。

ネイビーのワンピース、黒いバレエシューズ。

 

 

「俺が蛇だって?」

 

 

 そう

 

 

あなたがスネイクよ

 

 

「じゃあ、あの依頼は何だったんだ?」

 

 

依頼なんて無かったのよ

 

 

 

 

 

 

全てはフェイクなの

 

 

 

 

 

 

 

視界がぐらりと揺れる

 

全てはフェイク?

そう、全てはフェイク

嘘だったのか?

そう、全てが嘘なのよ

いつから?

最初からよ

俺はラリっているのか?

あなたはラリっているの

いつドラッグを飲ませた?

最初よ

最初?

そう、最初、あなたは最初からラリっているの、あなたは最初から狂っているの、ドラッグのやりすぎよ

化け猫は?

幻覚よ

探偵は?

幻覚よ

お前は?

幻覚よ

俺は?

幻覚よ

これを読んでいるあなたにも教えてあげるわ、全ては嘘、フェイクなの、わかったらこんなページ早く閉じなさい、ブラウザの履歴も全て消しなさい、こんなブログを読んでも、何も良いことなんて起こらないのよ、今日も明日もあなたは相変わらずの負け犬で、惨めな気持ちを抱えたままドラッグに逃げてはおかしな幻覚を見るのよ、これからだってずっとそう、全てはそういう運命なの、私達は逃れられない輪廻の中にいるのよ、さぁ、諦めなさい、あなたには出来ることなんて何も無いの、早くこのページを閉じて、何も無かったことにして眠ればいいのよ、目が覚めれば、いつもと同じ毎日が訪れるわ

やめろやめろやめろ

やめろ やめろ! やめろ!! やめろ!!!!!!

女はネイビーのワンピースをするりと脱いだ

女は下着を身に着けていなかった

さぁ、いいことしましょう

形の良い乳房とピンク色の乳首があらわになった

ためらうことなんてないのよ

女の肌は陶器のように真っ白だった

あなたは身を任せていればいいのよ

女が俺を見つめながら近づいてくる

とっても気持ち良いのよ、死んでしまうくらい

何をするつもりだ

あなたを食べてしまうの

女は俺のペニスを咥えこんだ

背筋に冷たい感触が走った

やめろ やめろ やめろ

 

女の眼球が俺の太ももの上に落ちる。

 

女の鼻から蛆虫が大量に湧き出てくる。

 

女が痙攣するように体をくねらせると、腕が根本から腐り落ちた。

 

女の両脚は酷い腐臭を放ちながら溶け出し、やがて1つになった。

 

女の髪は抜け落ち、体中の皮膚は爛れて糸を引きながらぼとぼとと剥がれていった。

 

女は真っ白い大蛇に姿を変えた。

 

大蛇は俺をじろりと睨みつけていた。

 

大蛇に睨みつけられていると、体を動かす事が出来なかった。

 

大蛇はゆっくりと大きな口を開けた。

 

鋭い牙の先端からよだれが糸を引いていた。

 

ゆっくり大蛇の口が迫ってくる、だが俺は動くことができない。

 

ピンク色の粘膜に包まれ、細い舌が執拗に俺に絡みつく。

 

お前に蛇は退治できないにゃ

 

そして、大蛇は俺を飲み込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

     ***

 

 

 

 

 

 

 

夢判断

 

暗闇の中で、俺は夢を見た。

遠い遠い昔の夢だ。

あれはいつ頃の事だっただろうか。

思い出せないくらい昔の夢。

俺は神社の境内にいる。

時刻は夕方。

一人ぼっちで。

俺は境内の猫を夢中になって追いかけ回していた。

境内は猫たちの集会所でもあったのだ。

どれだけ追いかけても猫には追いつけなかった。

猫はふわふわしたしっぽを揺らして、俺の前から遠ざかっていった。

猫を追いかけているうちに、いつの間にか俺は神社の裏の山に迷い込んでしまっていた。

気付いたときには日は暮れていて、辺りは真っ暗だった。

猫ももう居なくなっていた。

俺は心細くなって、その場に座り込んで泣いていた。

すると、さっき俺が追いかけ回していた猫たちが集まってきた。

猫たちは俺を取り囲んだ。

中でも一際図体の大きい三毛猫が俺の目の前にやってきた。

三毛猫は俺の目の前でしっぽを振った。

「このしっぽを掴むにゃ」

そう言われて、俺は三毛猫のしっぽを掴んだ。

すると、不思議な力が俺と三毛猫を包み込んだ。

気がつくと俺は家の前で倒れ込んでいた。

 

そういう夢だ。

 

目が覚めた。

目の前は真っ暗だった。

もしかしたらまだ夢の中なのかもしれない。

ここはどこだ?

そうだ、俺は大蛇に飲み込まれたんだ。

酸っぱい臭いのする粘液が体中に付着していた。

「探偵、思い出したかにゃ?」

化け猫が言った。

「ああ」

「随分な回り道をしたにゃ、でも、こうでもしないと蛇は退治できないんだにゃ」

「わかってるよ」

「ならいいにゃ、しっかりしっぽに掴まるんだにゃ」

暗闇の中、闇雲に手をのばすと、ふわふわしたしっぽに触れた。

俺はそのしっぽを思い切り掴んだ。

すると、不思議な力が俺と化け猫を包み込んだ。

 

 

     ***

 

 

ウロボロス(エピローグ)

 

夏が終わろうとしていた。

閉め切った事務所のブラインドの隙間から、秋の予感を含んだ光線が染み込んでくる。

骨董品のような扇風機も、なんとか今年の役目を終えた。

俺は来客用の革張りのソファに座り、テーブルの上の2つのホットコーヒーを眺めていた。

「この度は本当にありがとうございました、探偵さん」

依頼人の女が向かいのソファに座っている。

美しい女だ。

そう思った。

「いいんだ、それより、本当に何も覚えてないのか?」

「ええ、最後に探偵さんに電話を掛けて以降の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっていて」

「そうか」

どうも腑に落ちない話だが、この女が嘘を吐いているようには見えなかった。

俺はこれ以上追求するのをやめた。

お前に蛇は退治できないにゃ。

確かにその通りだった。

蛇を退治したのは俺じゃない、化け猫だ。

蛇は居なくなった。

化け猫も居なくなった。

依頼人の女は記憶を失っているが無事だ。

全ては元通りになったように見えた。

「探偵さん、もしよかったら、今度ご飯でもいかがですか?」

あの蛇は何だったんだ?

化け猫はどこへ行った?

俺は今シラフなのか?

考えるのを止めようとすればするほど、様々な疑問が次々と湧いてきた。

「探偵さん?」

「あ、ああ、そうだな、いつでも行こう、美味しい日本酒が飲める店があるんだ」

女はにっこりと笑い、事務所から出ていった。

ドアが閉まる寸前、何かのしっぽがドアの隙間からちらりと覗いた。

 

 

 

 

      ***

 

 

 

 

「あの男、大丈夫ですかね?」

「心配いらん、ジェイムズのようにはならんだろう」

「しかし、ドラッグを飲ませたのはやり過ぎでは?」

「蛇を退治するためには仕方のない事だ、あの男には悪いがな」

「あの男、大分混乱しているようですが」

「当たり前だ、奴が見たのは蛇なんだ、そんじょそこらの化け物とは違う」

「蛇が言っていた、全てはフェイクだというのは?」

「その通りだよ」

「その通り?」

「詮索はよせ、今日のところはとりあえずエンディングだ、曲をかけてくれ」

「…わかりました」

 

(エンディングテーマ)

(スタッフロール)

(明るくなる劇場、観客は数名) 

(まばらな拍手)

(アナウンス) 

 ”以上をもちまして、本日の公演を終了させていただきます。

 本日はご来来場場いいただただきまましてして

  誠誠にありありがとうがとうござございいまましした。”” 

 

 

 

 

Fin.