郊外のショッピングモールで見つけたもの
今日僕は友達と郊外のショッピングモールへ行った。
僕はあまりショッピングモールが好きではない、お店も物も多すぎるし、あまりにも資本主義的すぎる空気感が苦手で、いつからかあまり行かなくなっていた。
何も買うつもりはなかったのでとりあえずぶらぶら歩いてみた。
レイワ(僕のグーグル日本語入力ではまだ変換できない)元年だからってやたらと色んなところでお祝いの福袋だとか限定品なんかが売っているしTシャツやプラカードをこしらえてイベントまでやっている、なんかバカみたい。
ショッピングモールに入ってるショップは僕の好みでは無いがなんとなく春物のアウターとかを手にとってみる、どこにでもありそうな普通の服だった。
ファストファッションブランドの広い店内で外国人の若い集団を見かける、最近はどいつもこいつもユーチューバーみたいな格好をしている。
メガネ屋でサングラスを試着してみる。レンズの機能を説明する店員の話をなんとなく最後まで聴いてしまう。でも結局何も買わないからちょっと気まずい雰囲気で店を後にする。
輸入食品店で配っている試飲のコーヒーを飲んでみるけど、味の違いなんてわからない。
レコード屋では全く知らないアイドルグループやバンドのCDが並ぶ。僕や友達が好きだったバンドのCDはもちろん置いてない。
本屋で普段は読まないようなファッション誌なんかを手にとってみる、この格好は無いなぁ、とかこんなのが流行りなんだなぁ、とか一瞬頭をよぎるけど、今はもう何も覚えていない。
ごみごみした雑貨屋でどうでもいい品物を見ながら友達と喋る。
アイスクリームを買ってモール内のソファに座って食べる。味は特に印象に残らないが、女子高校生っぽい店員が可愛かった。
目的はない。
ただ時間が過ぎていく。
なんとなく気だるくて、だらだらした時間。
泡沫のような何気ない会話。
郊外のショッピングモールは気楽だ。
都市のピリピリした緊張感はここには無い。
心なしかリラックスしている自分を見つける。
こんなの久しぶりだな。
ゴールデンウィークだからか、いたるところに子どもたちがいた。
走り回ったり、転んだり、泣いたり、笑ったり。
子どもたちは全員キラキラな生命力を輝かせていた。
ベビーカーを押す夫婦、孫の相手をするおじいちゃんおばあちゃん、みんなくたくたな顔をしていたが、一様に満足気だった。
そんな家族の風景を眺めながら僕は昔の事をぼんやり思い出していた。
昔、まだ今よりずっとずっと幼かった頃、家族でよくショッピングモールに来ていた。
一人でふらふら歩いていて、迷子になった事もあったっけ。
大きな声で泣いていると店員のお姉さんが優しく話しかけてくれて、母親を探すのを手伝ってくれたんだ。
死んじゃったおばあちゃんがゲーム機を買ってくれた事もあった、僕は嬉しくてそこらじゅうを走り回っていたような気がする。
人混みで危ない時は父親が肩車をしてくれた、僕は父の髪の手触りと匂いを今でも鮮明に覚えている。
弟が生まれた後は、僕がベビーカーを押した、僕はその重みに確かな生命を感じた。
自分でもびっくりするくらい暖かな記憶が蘇ってきて、僕は思わず泣きそうになった。
ぼーっとしている僕の肩を友達が叩く。
僕は記憶の部屋から現実に引き戻される。
「俺もいつか結婚したり、子供生んだりするのかな」と僕は友達につぶやく。
「どうだろう、とりあえず俺たちは彼女作るのが先だよね」と笑いながら友達が応える。
泡沫のような会話。
そしてまた時間は過ぎていく。
ショッピングモール、ここはいつだって退屈で、平凡で、代わり映えしない。
でも、ここにはかけがえのない日常と、ありふれた幸せがあるのかもしれない。