今はなき脱法ハーブとバッドトリップの思い出

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 合法ドラッグというものが流行った時代が十年ほど前にあったという。僕はその頃まだ幼かったのでその実情をほとんど知らない。初めて合法ドラッグというものの存在を知ったのは滝本竜彦の小説「NHKにようこそ」だった。当時中学生だった僕はこの小説に何故だかわからないが強烈に惹かれた。そして何度も何度も読み返した。今思うと、この頃から僕はドラッグと共生してゆく運命にあったのかもしれない。作品内で言及されている合法ドラッグは多岐に渡る、AMT、ハルマラ、マジックマッシュルーム5MEO-DMTなどなど、今では考えられない豪華絢爛なサイケデリックスの共演だ。この作品内におけるトリップ体験の描写はこれ以上ないくらい簡潔だが、だからこそ妙な説得力がある。特に第九章で主人公佐藤とその後輩の山崎が「佐藤スペシャル」というサイケデリックスのカクテルを服用した時の描写はぶっ飛んでいながらもバカバカしくて笑える。

 この作品に触れていたおかげでドラッグに対する危険意識が薄れていたのか、高校の頃には学校に行かずにブロンや脱法ハーブを日常的に使用していた。脱法ハーブは今では危険ドラッグなんて言われ方をしているし、効き方も散々だと聞く。僕は怖いので最近の脱法ドラッグには手を出していない。その代わりにブロンやコンタックを使用している。

 一度脱法ハーブで酷いバッドトリップに陥った事がある。今ではその記憶も薄れてきているが、相当に強烈な経験だったので僕がかつて書いたバッドトリップに関するメモ書きを載せたい。

 脱法ハーブと法規制は僕が初めて体験した頃(ゼロ年代の終盤)にいたちごっこを始めたばかりで、世代交代のペースは比較的ゆるやかだった。僕が初めてやったハーブは第三世代といわれるもので、割といい効き方をした。その後すぐに規制が入り、ハーブは第四世代へと突入していった。その第四世代のハーブは第三世代の物に比べると幾分ケミカルで、弱い効きだった。しかし不登校で時間を持て余していた僕にはちょうどいい時間つぶしになった。日常的にネットサーフィンなんかする時には第四世代の弱いやつを、音楽なんかでガッツリトびたい時には第三世代を、という感じで使い分けたりもしていたし、何種類かをミックスしてより複雑なトリップに挑戦したりすることもあった。

 ある平日の夕方頃、いつものように現実逃避がしたくなって僕は第三世代のハーブを吸入し、しばらく音楽を聞いたり、一人でくすくす笑ったりして楽しんでいた。もう夕方だったので、吸入してしばらくすると家族が帰ってきた。すると突然「バレたらどうしよう」という不安感が僕を襲ってきた。こうなると今までの楽しかったトリップはおじゃん、大抵そのままバッドトリップへと急降下していく、案の定酷いバッドトリップに陥った僕は夕飯も食べずに数時間泣き続け、何度か吐いた。心配して様子を見に来た家族には「風邪気味だから」とだけ言っておいた。

 最悪の気分だった、まさにこの世の地獄だった。楽しむためにラジカセから流しておいた音楽(toeの長いタイトルのアルバム)が遠くで異国の邪教徒が鳴らす降霊用の音楽のように聞こえ、いつまでも耳の中でぼわんぼわんと鳴り響いていた。部屋の壁紙の模様が、扉の形が、自分の仕草が、すべて幼い頃の嫌な記憶とリンクして僕を苦しめた。絶対に有り得ないだろうという幼少期の偽りの記憶が、あたかも本当にあった事かのように鮮明に脳内で再生された。父親が僕を殴り、ベランダへ放り出し鍵を締める、僕は大声で泣いた、すると近所の住人が僕をまるで見せ物でも見るかのようにじろじろと見つめてくる、そいつらは全員裸だった。どんどん幼児に退行していくのが自分でもよくわかった。枕のカバーで涙を拭くと、それはもう本当に4歳の頃の僕だった。母親に見捨てられたみたいな絶望が何時間も続いた。大量の水を飲んで、大量の小便をした。少し意識が正常に戻ってきた。その日はそのまま寝た。翌日、もうこんなもんは二度とやるもんか、と思った僕は持っていた全てのハーブを捨てた。パイプも、手作りのボングも捨てた。

  この体験が僕の人生を大きく変えたのは逃れようのない事実だ。心理学や精神医学に興味を覚えたのもこの体験がきっかけだ。幼児退行、虚偽記憶…精神世界の持つ圧倒的なパワー、現実感、止めどなく溢れ出る負の思考。この強烈な体験をなんとか処理するにはそれなりの知識が必要だと、知識さえ持っていればこんな経験を二度としなくて済むはずだと、当時の僕はそう思ったのだ。

 しかし最近はこんな事も思う、このバッドトリップ体験なんて比にならないくらい恐ろしい体験があるはずだと、そして僕はそれを経験しなければならないと。それはLSDなどの強力なサイケデリックスによるバッドトリップだ。幸か不幸か、僕はLSDの経験が無い、当然LSDによるバッドトリップの経験も無い。僕は今LSDに猛烈に惹かれている。LSDによる精神世界の変容や意識の拡大なども魅力的ではあるが、僕はもう一度、あの時のバッドトリップと向き合う必要があると感じるのだ。もう一度強烈な地獄を味わい、それを乗り越え、成長のヒントを得たいと思うのだ。

 

※2018年3月、小説の形で僕の臨死体験をまとめました。よかったら読んでみてください。

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